フリーター時代

途方に暮れるフリーター時代 (00.10~)

高校を辞めた私はバイトを探すことにしました。私の家は事業の失敗で貧しかったので、とにかく食費くらいは自分で稼がなくちゃいけない、と躍起になりました。このときの私は

年齢: 17歳
学歴: 高校中退
資格: 全くなし

という最低の条件でした。

連続不採用

 まず最初に受けたのが「宅配寿司の調理スタッフ」です。家から自転車で10分程度でした。
 面接で話しを聞くと、
「原付免許は持ってるの?」
「持っていません。]
「うち、宅配やってるんだよ。原付ないとねダメなんだよ。」
「調理スタッフ募集と書いてあったので・・・」
「最初は調理で、慣れてきたら、配達もするの。」
その後、不採用の通知が家に届きました。
それよりも、原付免許が必要なら、初めから書いておいてほしい。

 次に受けたのは「夜間の施設内警備」です。
「年金生活の人が多いけど、うまくやっていける?」
「お年寄りの方は苦手ではないと思います。」
「年寄りって、君ね、失礼だよ。もう、いいよ帰って。」
私の”年寄り”という発言が気に障ったようで、あっさり不合格になってしまいました。施設内警備はかなり興味が あったので、残念でした。夏の暑い日でした。よく覚えています。
こんな些細な一言で怒るくらいですから、やっぱりじじいと一緒に仕事するのは元々、無理だったのかもしれません。

 次に受けたのは、「早朝の工場内作業」です。
ここも家からすぐそばでした。面接に伺い部屋に通されると、すでに一人、年配の方が座っています。 合同面接のようでした。その方は自営業をやっているそうですが、稼ぎが少なく副業を探しているとのこと。 社長は、自営業の方とばかり喋っていて、私にはまったく関心がないようでした。その場で不採用を言い渡されました。
 実はこの間にも、別の会社を2社ほど受けようと思ったのですが、当時は今のようにgoogleマップとかありませんから、 求人広告に記載されているアバウトな地図だけを頼りに会社を探しました。そうすると、どうしても会社が見つからない ケースが出てくるのです。自転車で周囲をグルグル回っているうちにとうとう見つからずに諦めるということも2度ほどありました。

シートベルト製造工場でバイト (00.11~00.12)

 4社目にようやく採用が決定しました。「シートベルトの製造工場」です。自給は710円でした。
 工場と言っても大きな工場でなくパートのおばさんと年金生活のじいさんが20人程度の工場です。
 昼食の時間が嫌でした。昼食は仕出し弁当を注文して敷地内にあるバラック小屋で食べるという習慣がありましたが、 私は昼食の時間が嫌でたまりませんでした。おばさんの息子の話し。じいさんの孫の話し。私は全く会話に入れず、うつむいて、 ただ、時間が過ぎるのことばかりを待っていました。
 朝起きられなくなりました。私は当時、オールナイトニッポンというラジオ番組を聞くことが習慣になっていました。バイトに入った当初は 緊張感があったので朝、なんとか起きられましたが、少し慣れてくると全く起きられなくなりました。私の遅刻は週1日になり、最後は 毎日のように遅刻していました。
「次、遅刻したらクビだ。」
社長から、とうとうクビの警告を受けました。次の日から、その工場の正社員さんが私の家に電話して起こしてくれるようになり何とか、 私の遅刻も収まりかけてきたのですが、ある日、どうしても会社に行きたくない気分になり電話の電源をOFFにして放置しました。
その日の夕方、切手が貼っていない手紙が私宛に入っていて、開けてみると解雇通知でした。
 私がこの工場に勤めたのは2カ月程度でした。

空調機のダクト製造工場でバイト (00.12 1日で逃げる)

 ほどなくして見つけたのが近所の空調機のダクトを製造す町工場です。
 アルバイト初日、社長に工場内を案内してもらうと、他の従業員は外国人ばかりでした。
 早速、ダクトの製造方法を社長から教えてもらう。大きなステンレスの鉄板があり、それを金型に入れて大まかな形を作り、 残りの細かい作業は手作業で行う。私が恐怖したのは、その細かい作業です。例えば、穴を開けたりする作業は直接、手で 工作機の手前に固定して行います。ウッカリすれば、自分の手に穴を開けてしまう可能性があるのです。私は自分の性格が散漫であることを 承知しているので、いつか絶対にぼーっとして、自分の指を落としてしまう気がしました。
 さらに決定的だったのは、午後から出社してきた日本人の従業員です。その人が腕に包帯を巻いていました。社長の奥さんが、
「この人、バカなんだから。ちょっと失敗して怪我しちゃったのよ。」と私に笑いながら教えてくれました。 ”ちょっと失敗”すると大けがをする可能性がある。 私は完全にビビってしまい。次の日、無断欠勤をして、そのまま退職しました。自給は900円だったと思います。零細の町工場では自給900円たらずで自分の 身体を賭けなければいけないんです。これが現実です。私はその現実から目をそむけて、わずか1日で逃げだしました。

寝具を洗濯する工場でバイト (01.1 10日程度で退職)

 次に見つけたのが、寝具(布団とか)を洗濯する工場です。年末から正月が特に繁忙であるらしく、暮れが迫る12月28日から バイトを始めました。
 私は病院やらホテルから返却された布団を受け入れる部署の担当になりました。洗濯を行う現場は騒々しいものでしたが、受け入れは やってくるトラックを待つ暇な部署でした。
 しかし、暇な事が私にとって大きな問題となりました。空き時間は他のバイト同士で輪を作って話しをしています。しかも、ヤンキー崩れ な面々です。私は当然、輪の中に入れませんでした。
 1週間程度して慣れてくると、トラックがやってくる時間が分ってきます。  

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