小学校

入学早々、いじめのターゲットに。

小学校の入学して数週間経ちましたが、友達は出来ませんでした。

 それは突然です。
 掃除時間のとき、私に向かってスライディングキックみたいなのをされました。私はどう反応して良いか分らず、無視して掃除を続けました。 攻撃されてもやり返さない。いじめっ子からすれば、こういう人間は一番のターゲットでしょう。いじめというのはどんどんエスカレーションしてきます。 最初はスライディングキック程度でしたが、そのうち後ろから飛び蹴りをされたり、プロレスの技をかけられたりしました。 その中でも私が一番、嫌だったのは他のいじめられっ子と対戦させられることでした。 嫌がる私ともう一人を無理やり、鉢合わせ「カーン」などとプロレスのゴングのマネをして、動揺する私達を「たたかえ、たたかえ」野次るのです。 仕方なく何の恨みもない自分と同じ、いじめられっ子と殴り合いをするのです。 どちらかが泣くまで続けるのです。
気の弱そうな奴を無理やり連れてきて、無理やり戦わせて、自分は高みの見物。わずか6歳の子供がここまでのことをするんですよ。

 6歳くらいの子供って可愛いですよね。女の子なんか天使のようですね。でも、それは見せかけです。 性悪説で言えば、人は生まれながらにして悪であり、自我でその悪を抑える訳です。 子供は自我の発達が未熟ですから、幼い子供ほど悪なんですよ。

いじめっ子に降伏する。

 私はいじめの被害から抜け出すために考えました。それは、いじめっ子の子分になることです。私は幼くてもプライドの高い人間でしたから、親や先生にいじめの被害を告白することは出来ませんでした。

 いじめっ子の名前はS谷です。
 私はある日、意を決してS谷の元に行きました。緊張しましたね。自分から相手に向かっていくことなんてありませんでしたから。
私は言いました。「子分にして下さい」と。S谷は「よし分った」と単純なもんです。
子分になった私はカバン持ちをしたり、駄菓子屋で奢らされられたり、買ったばかりのゲームを取られたりと散々でしたが、どうにかいじめの被害から脱出することが出来ました。

S谷と違うクラスに。そして新たないじめが始まる。

 S谷はいじめっ子としては嫌な奴でしたが、実は親分としては中々、頼りになりました。
私が嫌がらせなどを受けると、助けてくれましたから。
 S谷の家に集まって、ファミコンをしたり、ドラゴンボールの映画を見に行ったり、ビックリマンシールを見せ合ったり、小学校4年にもなる頃は私とS谷は親分、子分といよりただの友達でした。

 小学校5年になると、S谷と違うクラスになりました。
 ある日、私はクラスメートから言われました。「サッカー部のA木が、お前にムカついてるから絞める」と言ってる、と。 A木とは私は一度も同じクラスになったことがありません。面識もほとんどありませんでした。
 A木のいじめは最悪でした。私が死の病を患ったら道連れにします。生涯許しません。
A木は私をいじめる前に人を集めるのです。今日の放課後に締める、と学年中に周知させるのです。 私は逃げられません。A木の仲間がクラスメートにいますし。教室のドアにも見張りがいます。 私は何もできずに校舎裏に連れていかれます。校舎裏にはA木の仲間や傍観者が数十人くらい集まっています。 そのような状況で殴られ、蹴られるのです。ズボンとパンツを脱がされたこともあります。A木が疲れると、別の仲間と交代して続きが始まります。

 忘れられないことがあります。
 ある日、同じように私が無理やり校舎裏に呼び出されると、3つ下の弟がいたのです。 今、文章を書いていても心臓が苦しくなります。私はプライドの高い人間です。 弟に無様な姿を見せることが嫌でたまりませんでした。 弟は私がいじめられるところを見て泣いていました。 いじめが終わる30分程度の家路を何も喋らずに帰ったことを今でもハッキリ覚えています。
弟はそのことについて、一度も触れることはありません。弟も忘れたいのでしょう。

嫌いな男子の称号、3位を授与。

 小学校の卒業式が迫る中、クラスの女子が卒業アルバムを作るため色々なランキングを調査し始めました。
「性格が明るい人、ベスト3」とか「偉くなりそうな人、ベスト3」などのあれです。
その余興でしょう。嫌いな男子ベスト3というのを調査したのです。私は第3位でした。 私は大人しい性格で、いたずらもしません。誰にも迷惑をかけていない筈なのに嫌われていまう、これが私の人生の本質でしょう。

 卒業式の後、クラス女子の代表が同窓会のためにとクラスメートの電話番号を聞いて回っていました。 当然、私は聞かれませんでした。私は泣いてる担任の先生を横目に挨拶もせずに帰りましたね。

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