鈴木亜美と私

最初はアンチだった

 鈴木亜美はASAYANというテレビ番組で視聴者投票によりデビューしたアイドルです。私は別に興味もなく見ていましたが、 プロデューサーが小室哲哉だと発表されると私は不機嫌になりました。当時、私は華原朋美やglobeのファンでありましたが小室哲哉が それらに提供する楽曲の質が明らかに落ちていたからです。特に華原朋美にしては小室が個人的に興味がなくなったようで、2作連続「I WANNA GO(98.2.11)」、 「YOU DON'T GIVE UP(98.4.8)」ともアルバムからのシングルカットで完全に手抜きででした。それから、ようやくリリースした 「tumblin'dice(98.6.17)」もぱっとせず、ますます私をヤキモキさせました。
 だからASAYANで鈴木亜美のプロデューサーが小室哲哉だと聞いたときは唖然としました。当時、他にも「トーコ」や「未来玲可」などのプロデュースを開始しており、 私にはあちこちに手を広げるよりも、今いる歌手のプロデュースに力を入れてほしいと思っていたからです。

握手会で心を奪われる

 ASAYANで鈴木亜美の握手会があることを知りました。当時、ニッポン放送のゲルゲットショッキングセンターという番組を私は毎日聞いていたのですが、鈴木亜美がゲストでよく 来ていたのです。ラジオで鈴木亜美の歌やトーク(彼女の話し方は素朴で内心、好感を持っていた)を聞いて興味があり、人生で初めて芸能人に会いにいきました。
 確か、99年の1月31日で銀座の福屋書店です。私が始発列車に乗り、7時頃に福屋書店に到着すると既に長い行列が出来ていました。整理券配布は10時からだったので、 3時間くらい並んだのですがあまりの寒さで手足の感覚がなくなってきたことを覚えています。整理番号は700番くらいでした。後でファンサイトで知ったのですが整理券の配布枚数は3000枚で、 遅くきた人は整理券を手に出来なかったそうです。とにかく鈴木亜美の人気は凄かったのです。
 握手会の開始時間になりました。長い行列をゆっくりと進んでいくと私は緊張して私の口はカラカラに乾いるのが分りました。ようやく、自分の番が来ました。鈴木亜美は笑うと目元に皺がよる 特徴的な笑顔をします。目の前で見たその笑顔はあまりにも素敵でした。彼女の手はとても柔らかく、そのあと私はしばらく放心状態でした。心を奪われた、とはあまりにも常套句ですが、他の 言葉は見つかりません。 ほんの数秒であったけど、私の人生で初めての経験でした。

何も手につかない

 私のこの頃、高校を中退して鶏卵工場でバイトをしたのですが、その夜、気持ちが高ぶり全く寝つけず次の日、会社を休んでしまいました。
 私は友達がいなので、どうしても誰かと鈴木亜美について語りたく、ドリームキャストのIRCチャットで「鈴木あみファンの部屋」を見つけ 毎日、一晩中入り浸るようになりました。その後も風邪といって3日くらいバイトを休みましたが、それも面倒になり連絡もせず無断欠勤をするようになり、そのまま辞めてしまいました。
 私は鈴木亜美では絶対にオナニーをしませんでした。(当時はね。今はするよ。)当時、 私は神様が本当は天使にするはずだったのに間違えて下界に落としてしまったのだと 考えていましたので、天使でオナったら絶対ダメだ、と強く自制していました。
 鈴木亜美は可愛いだけでなく、とても純朴です。ラジオで話す内容は大抵、趣味の料理の話しかペットの話しだし、合コンやクラブは嫌いだと真面目な顔で答えていました。 何かにつけてファンに向けて話しをするし、 いつもファンの事を気遣ってくれる子でした。悩みを聞かれれば、コンサートで盛り上がらないのが悩みだと言っており、 テレビ番組で闘牛を見にいくシーンがあれば、サーベルを刺された牛を見て可哀そうだと泣いていました。

鈴木亜美の追っかけになる

 思い返せば、私の人生で一番、幸せな時間だったかもしれない。
私はこの頃、鈴木亜美の追っかけをするために、休みの自由が効く道路工事の警備員をしていました。警備で稼いだ金は鈴木亜美の追っかけに つぎ込みました。北は新潟や石川、西は大阪くらいまでならどこでも行きました。コンサートだけでも38公演。他にもテレビ番組やラジオ番組の公開収録 にも通いつめたので、60回くらいは超えていると思います。
 「ラブファミあみーご」というファンサイトがありました。管理人は”SHIGEちゃん”という人で、この人は鈴木亜美ファンの代表のような人だった。 ピンク色の半被を身にまとい、いつも大群を連れていました。コンサートのフリ(ファンのあいの手)はこの人が考案したものも多かったです。鈴木亜美の画像を 無断使用したファンサイトが多い中、このサイトは肖像権を侵害しない、と公言して画像を使っていなかったことも私は好感を持っていました。

不穏な空気が・・・まさかの引退

 「Reality」という楽曲を00年の9月にリリースして、クリスマスあたりに舞浜でテレビの公開収録を終わった後、翌年から鈴木亜美のついての情報が 全く入ってこなくなりました。公式サイトを覗いてもスケジュールは全く白紙です。 前年は春コンサートを4月くらいから回っていたので、ファンクラブ会員にはそろそろ通知が届くはずです。しかし、2月になっても全く情報は入ってきません。 この時点でチケットを販売しなければ春コンサートはないということです。テレビにもラジオにも全く出ません。 私は警備員として一日中、かかしをしていましたが、とにかく不安でした。なにか只ならぬことがある、と予期していました。
 「鈴木あみ引退」
 そのニュースを聞いたとき、私は思ったよりも驚きませんでした。公式サイトに何ヶ月も全く情報が上がってこない。 絶対に何かある、と確信していたからです。それなら、絶望しなかったかと聞かれればNoです。 私は完全に放心状態で鈴木亜美の曲は全く聞くことが出来ませんでした。
 私が密かに尊敬していた、ラブファミのSHIGEちゃんですが、大体、こんな声明出しました。
「鈴木あみのファンを辞めます。最近の鈴木あみの音楽活動について、アイドルなのか、アーティストなのかの境界が曖昧になり、 鈴木あみの方向性に賛同できなくなったからです。今回の引退報道とは関係ありません。]
 人の心は無情なまでに変わってしまいます。それは分っていますが、あまりにも冷たい内容に腹が立ちました。

青春の終わり、就職を決意

 鈴木亜美の引退報道からしばらくして、私は就職することを決意しました。鈴木亜美がいなくなってしまい、不定期に休みを取る必要が なくなったからです。
 熱心なファンは鈴木亜美引退の抗議として、デビュー曲のlove the islandを買い占めてオリコンチャートに復活させたり、 自費出版で本を出したり、契約解除の裁判を傍聴したり、と色々やっていたようですが、不慣れな業務に忙殺され、私の鈴木亜美への 熱狂的な思いは少しずつ薄らいできました。

今の思い

 私は鈴木亜美が今でも好きです。盲信的な感情はなくなりましたが、私は今でも鈴木亜美を応援しています。(CDが出たら買いますが、ライブ(DJ)はクラブ ばかりなので行きません。)
 鈴木亜美は復帰後、迷走しました。
 私が知っている限りでも復帰後、鈴木亜美は以下のことをしています。
1. 自主レーベル → avexへ移籍
2. 楽器、作曲活動
3. 女優
4. DJ
 どこまでが本人の意思か分らないので、迷走と表現するには可哀そうですが、私は鈴木亜美には歌だけを続けて欲しかったと思います。歌だけを信念を持って続けていれば、かならず固定ファンはついてきます。
 今はDJ活動がメインのようですが、歌メインに戻って来てくれることを願っています。