モラトリアムからの脱出したい、この先自分はどうすればよいのか・・・

未だにモラトリアムの中にいる

 多くの若者は思春期である15歳~20歳くらいに自己を振り返り、
「自分の性格とは。(自己を認知すること)」
「他人を受け入れること。(親や教師も自分と同じ一人の人間で欠点があるのだと、気づき、受け入れること。)」
「自分は将来、何をするのか。」
など自分自身を考え、認知し、決定し、確立します。その過程をモラトリアムと言い、自分を定義することを、自我同一性(アイデンティティ)の確立と言います。
 私は高校を中退してからずっと、自分はどこに向かえば良いのか、という疑問を未だに持ち続けています。ガ○屋からプログラマーと全く脈絡のない転職をしたり、 通信制の大学に入学したり、といった私の迷走は、やはりモラトリアムの中でもがいているからと他ならないのです。

他人と私

 私は基本的に他人が好きではありません。人間嫌いです。その理由として、両親が不仲で、母親が何も言わずに出て行ったことや 父親が私に借金を押し付けたことが原因の一つです。他にいじめの標的にされたことや、親友だと思っていた人から裏切られたこと、上司が私の前だと褒めてくれますが、影で悪口を言っていることなど、私の人間嫌いは様々な理由からなりたっています。
 私は他人からの評価をとても気にする人間でした。私がガ○屋に入ったばかりの頃、とにかく人と会話をしなければ嫌われてしまう、という恐怖心から毎朝、出社する前に 会話する内容を2,3つ考えてから会社に出社していました。
 しかし、私が23歳のときに人は利己主義で脆弱なものであると、気が付いたのです。例えば自分とは利害関係のないスポーツ選手とか芸能人を批判したり、称賛したり、自分の不満を何でも国や政治のせいにしたりするのは、 自分の弱さを隠ぺいするためです。戦っているときの緊張感や勝ったときの快感が欲しければ、自分がやればいいんです。バラエティのバカ番組ばかり見てないで、その時間で自分が行動したらいいんです。 基本的に人間は自己の利潤しか考えてません。自分はフリーライダーを決め込んで偉そうに他人の批評ばかりするんです。ですから、他人の視線を気にするの無駄なんです。 自分の事しか考えていない人からの評価なんて、何の価値もありませんよね。
 ですから、私と他人との関わり合いについてはある程度、確立しています。

1. 他人に期待しない
2. 積極的に他人に関わらない。(同性、異性ともに)
3. 結婚願望もなし、子供もいらない。

評価はいらないけど、バカにされるのは嫌だ

 私は他人からの評価は気にしないと言いましが、それならバカにされても構わないと言っている訳ではありません。評価を気にしない、というのは積極的に誰かのご機嫌を取ったり、他人の評価を恐れて本意でないことを言ったりしないという事です。
 では、他人にへりくだったりせずに一定の評価を得られるにはどうすれば良いのでしょうか。私は何か人よりも優れた技術を身に付けるしかないと考えています。対人折衝力か技術力。どちらかを持っていないとバカにされます。 私が今、一番の課題に思っていることは技術力をいかにして見に付けるかです。その手段としては、どうしましょう、資格でしょうか。しかし、IT関連の資格は評価されません。客や上司は資格よりも、実際に出来あがった仕様書や プログラムである成果物で評価します。当然ですよね。難しい資格を持っていても、実際に出てきたモノがヘボかったら何にもなりません。

やっぱり英語

 資格が武器にならないとすれば、何をすればいいか。私はやっぱり英語だと思います。ITの主流はやはり海外ですから、絶対に英語は必要なのです。外国製のデバイスや、 新しい技術を使うときは、まず英語の知識が必要です。日本語の解説書が出るときは既にその技術は陳腐化しています。
 今後、何か特別な能力のないプログラマーは単純なコーダーやテスターとして、年功序列が廃止された日本において一生、年収300万で酷使され続けることになると考えています。

どのように実現するか

 問題は実現方法です。実現できなければ、再び、この先自分はどうしたら・・・と、モラトリアムに戻るだけです。手段として考えられるのは、英会話学校に通うか、NHKのラジオ英会話などの自習などが考えられます。
 しかし英会話学校など値段も高いですし、土日に1、2時間程度ですから習得まで莫大な時間と費用がかかるでしょう。ラジオ英会話や聴くだけでペラペラなどは論外です。そもそもアウトプットがなければ、自分の英語が正しいのかどうかの判断 すら出来ません。
 私が考えているのはりゅう学です。ですが、イギリスやらアメリカにりゅう学する金なんてとてもありません。私が候補にしているのは、フィリ○ンです。フィリ○ンは公用語が英語でありながら、後進国であり物価が非常に安いのです。 英語力を安価でかつ、短期間に伸ばすにはフィリ○ンへのりゅう学しかないと考えています。

問題点

 しかし、問題があります。私の父はトラックの運転手していますが、収入が低く私が家計をある程度、ささえないと成り立たないのです。弟がいますが、2年以上、何もせずにニートをしています。私はりゅう学期間を 一年くらいで考えていますが、その間の家計をどうするか、それが一番の問題です。
 私は焦っています。私は今年で29です。1年間、りゅう学すれば30歳になってしまいます。30歳で再就職先はすぐに見つかるのか、加齢とともに記憶力が落ちて英語学習に支障をきたすのではないか、 フィリ○ンりゅう学が注目されて、現在の低下価格を維持できなくなるのではないか、円安に進み現在の低価格を維持できなくなるのではないか、などなど、考えると色々と不安になるのです。
 私は今、以下の葛藤の最中にいます。

1. 昔、親父に作らされたサラ金のカードを置いてフィリ○ンに行く
2. 弟が働くまで待ってからフィリ○ンに行く

 しかし、「2.」の弟がいつ働くかなんて、見当もつきません。ハッキリ言って待ってられないというのが、私の気持ちです。「1.」についても、食費を500円に抑えたり、ボーナスを全て返済に充てたりして、 ようやく借金を返したのです。また、日本に帰ってきてから借金生活なんて嫌です。
どうしたらいいんだろうと、私は結論を出せないでいます。

英語を覚えたら何をするか

 これは漠然とした夢ですが、私はフリーランスのような働き方が出来ないかと考えているのです。特別なスキルがなければ、そもそも働かせてくれる場所を 探すことから苦労します。賃金だって叩かれます。そうなると、ようやく見つけた仕事を手放せなくなりますし、賃金の安さ故に何か行動を起こすことも難しくなるでしょう。負のスパイラルに落ちるのです。
 何か人とは違うスキルを手に入れ、「働く場所を容易に確保」、「賃金のベースアップ」を可能にする。 さらには、プロジェクト終了後、数ヵ月間の休みを取り、「海外に旅に出る」ということを可能したいのです。 つまり、

1. フリーランスとして、プロジェクトに参加
2.プロジェクト終了後に数ヵ月のブランクを作り海外旅行
3.帰国後、「1.」に戻る。

 実はこれは他人のアイデアを拝借しています。実際に履行している人のサイトを見たことがあるのです。ですから実現不可能なものではないはずです。
 人間は生きていくために張り合いが必要で、多くの人はそれを「結婚」や「子育て」に求めるでしょう。つまり、みずからの存在意義を「家族のため」と定義して、 モラトリアムから脱出するのです。しかし、私は結婚やらに興味がありませんので、それらを自らの存在意義として生きることは出来ないのです。