家族

性格は遺伝する

 性格は遺伝すると思いますか。私は性格は遺伝すると考えています。発達心理学によれば性格を形成する核になるものは気質と言い、気質は遺伝すると考えらているようです。気質とは落ち込み易さや怒りっぽさなど、性格よりも単純な要素です。
 幼少期は親から受け継いだ気質を元に親、兄弟、親戚、近所の友達など社会的環境から様々な影響を受け性格が形成されていきます。そのなかで最も影響力が強いのは間違いなく親でしょう。親から受け継いだ気質を元に親という社会的環境を受けて性格を形成するわけですから、もはや性格は遺伝すると断言しても間違いないと私は考えています。私の破綻した性格は間違いなく親のせいです。これから私の両親についてお話しましょう。

ギャンブル狂いの父と愚痴ばかりの母

 私の父は公務員(水道局)でしたが、とにかく適当な性格でした。
 私が幼いとき、水道局の目の前の社宅に住んでいました。出社は8時20分で、お昼休みは家に飯を食べに戻ってきます。帰宅は5時40分。給料も悪くなかったと思います。 昔、父から聞いた話しだと、水道局員の主な仕事は、住民から漏水の連絡が来たら現場を検めて工事業者に連絡するのが主な仕事だそうです。宿直もあります。私は一度、父が宿直のときに 付いていったことがありますが、風呂に入ってファミコンをして、寝るだけでした。幼い私から見ても楽そうな仕事に見えたのを覚えています。昔、父はよく言っていました。水道局の良いところは 誰にも頭を下げなくて良いところで、水道局の財政が厳しくなれば、料金を1円値上げすれば全て解決できるんだと、自慢していました。 日本人、全員がお客さんだそうです。
 そんな父の趣味はパチンコでした。平日は仕事が早く終わるので毎日、パチンコに行っていました。別にパチンコに行くのは悪いことだとは思いませんが、父は生活費まで使い込んでしまうのです。 私が覚えている幼少期の記憶は父と母がお金のことで喧嘩していることだけです。喧嘩は毎日のようでした。住宅を買うための財形を勝手に解約して使い込んでしまい、父と母が一晩中、喧嘩をしていたことを今でも はっきり覚えています。私が小学校に入った後、母が私の学費のためにとコツコツ貯めた貯金も勝手に解約して使い込みました。生活費がなくなると、サラ金から借金をしてパチンコにつぎ込みました。サラ金からも 借りれなくなると、闇金から借りて使い込みます。どうにもクビが回らなくなるとようやく母に相談して、母の貯金から返済しました。母の貯金もなくなると、父の妹から金を借りて返済したこともあります。
 母は私に八つ当たりをします。父のせいで生活費がないから私が昔貯めた貯金を崩してお前を食べさせてるんだと、言うのです。父が生活費をくれないから少しでも安い遠くのスーパーに買い物に行って大変だと言うのです。お金がないから何年も洋服を買っていないと言うのです。私は母の愚痴を聞くのが嫌でした。母が本気で笑ったことなんて一度も見たことがありません。母はいつも憂鬱そうな顔をしていました。私に話すことは父の愚痴ばかりでした。

 父はパチンコ狂いなだけでなく、とにかくいい加減な性格です。
 七夕の日、お祭り行こうと父と約束をしました。幼稚園児の私は楽しみで、ワクワクしながら父の帰りを待っています。しかし、父は夕方になっても帰ってきません。 水道局の前まで行って父を呼んでも誰も出てきません。暗くなるまで水道局の門の前で待っていると母が迎えに来ました。とうとう父は帰ってきませんでした。 次の日に父にどうして約束を守らなかったのかと問い詰めるとパチンコが出てしまい途中で止めれなくなったと笑っていました。 父はトイレのドアは開けっぱなし、電気は点けっぱなし、片づけない、テレビを付けたまま寝る。こたつで寝る、寝たばこで布団を焦がすなど、ととにかく適当な性格です。今も全く直っていません。

堅物の母

 いい加減な父とは裏腹に母は生真面目で堅物でした。そして狭量でケチでした。私は母の友達を一人しか知りません。母は人付き合いが苦手でした。
 父が生活費を家に入れないせいもあり、母はとにかく金に細かい人でした。私が小学校の頃、お小遣いを1000円貰っていましたが、どんなに頼んでもそれ以上の お金をくれることはありません。お小遣いを使いきった後に友達と遊びに行き、ジュースを買う金がなく、情けない思いをしたのは一度ではありませんでした。洋服にしたって ほとんど破けて着れなくなるまで買ってもらえず毎日、同じ服を着ているので貧乏扱いされたことも当然あります。いじめの要因のひとつであったはずです。 中学校に入ってからは特に惨めでした。中学に入ると誰だって自分の服装に気を使うようになります。 私はトレーナー2、3着とズボン2、3着くらいしか服を持っておらず、私の格好は必ず古ぼけたトレーナーとズボンでした。 私が中学2年のとき、ウォークラリーという江の島から中学校まで歩く行事があったのですが、クラスメートのN沢が私に向かって 「私服だけど大丈夫?」と聞いてきたほどです。私は完全に貧乏人扱いでした。(実際、親父のせいで貧乏でしたが。)
 母は私によく言いました。お前は人様よりも出来ないのだから、人に迷惑だけはかけない人間になりなさい、と。私の母は晩婚でしたので、 他のクラスメートの母よりも老けていて、父からまともに生活費を貰っていなかったので洋服も古臭いものばかり着ていました。化粧気も あまりありませんでした。そのような母の劣等感が母自身だけでなく、息子の私にまで必要以上に劣等感を持つようになったのでしょう。 今、考えてみると母も母で最悪だったのだと同情します。

事業の失敗と両親の離婚

 世間がバブルで浮かれている頃、父と父の兄(私から見れば伯父)は電子部品関連の会社を興しました。 とは言っても父は公務員で副業を禁止されているので、実際の経営は伯父が行います。会社の業績は好ましく、 伯父は気分を良くして玄関に水族館にあるような大きな水槽や大型テレビ、高級車など買っていました。
 バブルの崩壊後、伯父の会社は瞬く間に傾きました。会社は潰れ私の父は会社を興す際に 連帯保証人になっていたので多額の借金を背負うことになりました。 ほどなくして家にも水道局にも頻繁に借金取りから催促の電話がかかってくるようになりました。
 ある日の事です。私が中学校から帰ると母がいません。買い物にでも出ているのか思っていましたが夜になっても帰ってきませんでした。次の日も、その次の日も母は帰ってきません。ひと月ほど過ぎたあたりでしょうか。私が中学校から帰ると母が洋服やらの荷物をカバン詰めているところでした。「どうして帰って来ないの。」と私は尋ねました。「出ていく。」と母と言ったきりでした。それから10年以上、私は母に一度も会いませんでした。(次に会うのは母が病に伏して亡くなる間際です。)

借金100万

 借金取りから頻繁に電話がかかってるので会社に居づらくなったのでしょう。父は水道局を退職し、退職金で借金を返済しました。その後、父はトラックの運転手をしています。 収入は3分1に激減しました。
 それでも父はパチンコを辞めることが出来ません。その頃、普通のサラ金で父に金を貸すところはありません。父は闇金から金を借り、保障人を私にするのです。 私が仕事していると知らない番号から電話がかかってきます。
「よう、お前の親父が金返さないから、代わりに返せ。」
闇金の利息はトサンです。10日で3割の利子が付きます。金額は30万でしたが、私は20歳で正社員として勤めたばかりでお金がなく消費者金融から金を借りて返済に充てました。その後、私は幾度となく父と喧嘩をし、懇願し、泣きましたが父は私の言うことは聞きませんでした。父が闇金に手を出す度に自分のボーナスから支払い、 ないときは消費者金融から借りて支払いました。気がついたとき、私の借金は100万円にまで膨れあがっていました。
 そのから暫くして、父は闇金に手を出さなくなりました。詳しい事情は知りませんが、父の母や妹から何か言われたようです。

ニートの弟

 私には弟がいます。彼は正真正銘の屑ですから簡単に説明して終わりにします。
 弟は中学校2年のときに不登校になり、高校にも進学しませんでした。短期のバイトを繰り返し、今は2年以上何もせずに オンラインゲームとギターばかりやっています。私は弟と同居していますがここ数年は会話をしていません。

私の性格

 私の性格は破綻させられました。私は何に対しても真剣になれず、他人と競うことを嫌い、他人から評価されることを嫌います。 深く考えない為に間違えたり、注意しなければならないところで散漫になり、ミスを繰り返します。明日できることは 明日やり、今日しか出来ないことは諦めてしまう人間です。
 他人よりも劣っているという劣等感を常に持っており、人と深く交流することは苦手です。努力している人を見れば失敗を願い、 努力していない人間は屑だと見下す人間です。私は自分の性格は嫌いですが、その反面、楽だと考えています。

親を怨んではいない

 私は親を恨んでいません。
 私が欠点だらけの人間であることと同じように、親もまた欠点のある人間なのだと考えています。親の欠点は祖父母から、その欠点は、祖先からと継承されたものなのです。つまることろ諦めるしかありません。私が幼少の頃からいじめを受け、ダメな父を持って借金を背負わせられても鬱病などにならなかったのは諦めるという処世術を身につけたからです。
 人の人生とは生まれ待った容姿や家庭により全て決まってしまいます。努力とは実は微々たる力しか持っていないのです。諦めて楽に生きること。これが私の命題であります。