城ケ島と墓参り

(旅のルート: 計測中
B.城ケ島 → C.観音崎灯台 → D.横浜霊園

  

[写真/城ケ島無料駐車場]
俺の相棒は優秀だった。
だって10年間、ほとんど壊れなかった。
俺はこいつが壊れるまで、ずっと乗り続けようと思ったけど、りゅう学中の維持費が大変なので、 惜別の思いで処分することにした。
ホントにこいつにはお世話になった。

[写真/城ケ島大橋]
渡ってきた城ケ島大橋と対岸には、三浦半島が見える。
素晴らしい快晴と裏腹に俺の心中は来週早々、スクラップにされてしまう愛車への申し訳なさと、 りゅう学への不安から複雑だった。

[写真/商店街]
城ケ島灯台へ向かう途中のお土産屋さん。
土曜日だというのに寂れている。
俺は歩きながら、色々なことを考えた。

[写真/城ケ島灯台公園入り口]
俺が会社を辞めてりゅう学を決意した理由はいくつかあるが、ひとつは他人への嫉妬であった。
俺は他業種から転職したため、新卒並の給料で働いていた。
働き出してすぐに、リーマンショックやらがあって、会社の経営も思わしくなく、給料は上がるどころか下がり続けた。
同年代の奴が、クルマを買ったり、株や為替で遊んだりしているのが羨ましくてならなかった。
孤独でもいいし、友達も恋人もいらない。
だけど、貧乏だけは嫌だった。友達も恋人もいない俺の心が満たされるのは、モノとか旅行とかしかないからだ。
それに、近いうちの親も働けなくなる。俺の親は国民年金しか貰えず、さらに賃貸住宅なので、 俺が面倒を見ないと親父は生活できなくなるからだ。
俺は下がり続ける給料や、自分の加齢、親の老後など、将来のコストを考えては、憂欝になる毎日だった。

[写真/噴水]
俺は劣等感の強い人間だ。 友達も恋人もいなくて、給料は新卒並み。
俺はますます自分に自信がなくなった。
何をしていても、人よりも劣っているんだという、思いに悶絶し、どうにかしてこの劣等感を少しでも払拭する手はないか考えた。
俺が3年半、プログラマーをする中で、英文の技術書やマニュアルが膨大であるのに対し、英語が得意なプログラマーは ほんとに限られいることに気が付いた。
回りを見渡せば英語が苦手で苦戦しているのは俺だけではなかった。
人よりも何か一つでも優れた技術を習得して、劣等感を払拭したい、それもりゅう学を決意した理由のひとつだった。

[写真/像]
焦りもあった。 俺は今年で30歳で新しく何かを始めるには、最後のチャンスだと考えていたからだ。
今しかない、今、やらないでいつやるんだ、時間が無い、そうやって焦燥感に追い詰められたことも、 退職して、りゅう学を決意した理由の一つだと思う。

[写真/城ケ島灯台]
逃避ということもある。
俺は生まれてから、日本を出たことがなく、もしも海外で生活してみれば自分の超内向的な性格も少しは変わるかもしれないし、 性格が変わらないとしても、今まで自分に見えていなかったものが見えるようになるかもしれないとか、そんな漠然とした期待もあった。

[写真/城ケ島灯台から見た海]
先ほど、リーマンショックの影響で給料は下がり続けたと書いたが、俺の給料が安い理由は多分、それだけではない。
実際に自分にも問題があるのだ。

[写真/打ち寄せる波]
俺が会社に入社して半年ほど経った頃、俺は大手企業にたったひとりで派遣に出ることになった。
後日、その派遣先とトラブルを起こすことになる。

[写真/馬の背洞門]
派遣の話しを聞いたときから乗り気はしなかった。
派遣先は家から遠く、片道で2時間近くかかったからだ。
なにより、業務の内容は開発補助で、派遣先の社員のサポートが主な業務だと聞かされていた。
俺は断りたかったのだが、そのとき自社での仕事がなく、上司も始めはサポートかもしれないが、信頼を得て、設計開発に携われるように 頑張ってほしいと言われ、俺は仕方なしに受け入れることにした。

[写真/一面の貝殻]
朝日が昇る前に起きる生活が始まった。
派遣先の仕事は俺が想像していたよりも、酷いものだった。
与えられた席は俺だけ孤立しており、右側がゴミ置き場、正面はサーバーが置いてあり、サーバのファンが常に 顔にあたっているようなところだった。

[写真/二つ目の灯台]
仕事の内容も最悪だった。
数百ページに及び仕様書のコピーと製本、数百ページに渡る仕様書の誤字脱字などのチェック、社内配置替えによる引越し作業、掃除など、 いわゆる雑用全般だ。
しかも暇だった。
雑用とはいえ一日8時間みっちり仕事がある日は少ない。実際、1日の稼働時間は4時間程度だったと思う。
俺は、暇な時間を見つけては転職サイトなどを見てばかりいた。

[写真/観音崎灯台]
在職中から転職活動を始めた。
面接のとき正直に、IT業界で設計開発の仕事をするために、ガ○屋で働きながら、通○制大学に入学したり、基本情報を取得したことを話した。
幸い、俺の気持ちを分かってくれる人もいたようで、俺は2社から内定を貰うことが出来た。
俺は自社に連絡して、会社を辞めることを伝えた。
しかし、派遣先との契約期間などもあり、急に辞めることは無理だと言われた。
すでに俺は往復4時間の通勤時間とアホみたいな仕事に辟易していて、一刻も早く辞めたい気持ちでいっぱいだった。
だから契約完了までなんて、待てるわけもなく、強引にとにかく辞めると主張した。

[写真/観音崎灯台]
結局、上司が派遣先と交渉して、派遣契約を途中解除することになった。
さらに、自社の仕事があるから転職する必要はないと説得され、転職回数が増えることを心配していた俺は、上司の言われるがまま、 会社に留まり続けることになった。

[写真/観音崎灯台]
そのあと、別の会社に派遣されることになるのだが、俺はトラブルを起こしたことを後ろめたさから派遣に出た後、自社に一切近寄らなくなった。
派遣に出ていた2年間、忘年会、社員旅行、歓迎会、送別会、俺は一切、自社の催しに参加しなかった。
自分勝手な理由によるトラブルと自社とのコミュニケーション不足、この相乗効果で俺の評判は悪くなり、給料が一切、上がらなくなった原因になっているのだと思う。

[写真/観音崎灯台]
だから、いずれ辞めるつもりだった。
りゅう学は良いきっかけになったと思いたい。
りゅう学が成功して、辞めて良かったって、思える日は来るのだろうか。
旅はこれで終わり。
最後に出発前の墓参りをした。


一人で行っても寂しくない度 (☆3が満点!)

評価: ☆☆☆

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